今日の禅語
一翳在眼
(いちえいまなこにあれば)
空華乱墜
(くうげらんつい)
目に曇りがあると、
幻の華が乱れ落ちるさまが見える。
煩悩がある心では、
正しく物事をみることができない。
重要局面では、
視界の曇りをとって、先を見る。
私たちは1日に数多くの判断や決断をする。
そのとき、自分の目が曇っていれば誤った判断や決断をする。
曇りのない眼で、判断や
決断をする。
今日も1日、ありがとうございました。
一翳在眼
(いちえいまなこにあれば)
空華乱墜
(くうげらんつい)
目に曇りがあると、
幻の華が乱れ落ちるさまが見える。
煩悩がある心では、
正しく物事をみることができない。
重要局面では、
視界の曇りをとって、先を見る。
私たちは1日に数多くの判断や決断をする。
そのとき、自分の目が曇っていれば誤った判断や決断をする。
曇りのない眼で、判断や
決断をする。
今日も1日、ありがとうございました。
安閑無事
(あんかんぶじ)
安らかな気持ちで、平穏無事に過ごすとき、
心はどこまでも自由である。
そんな1日に無上の幸せがある。
ただ、安らかなこと、
穏やかなことの幸せを知る。
のんびりできた1日は、
心をリフレッシュさせる。
心は毎日疲れている。
1日のんびりできなくても、
数分、数十分でも
心を穏やかにし、メンテナンスをおこなう。
機械だって、メンテナンスしなければ
壊れる。
心も一緒。
自分をメンテナンスできる技術力は自分だけ。
今日も1日、ありがとうございました。
雲花驚歳晩
(うんかとしのおそきにおどろく)
ちぎれ雲(雲花)を見て、
この年も押し迫っていることに
驚かされる。
気が急いたら、脳のスイッチを切り替える。
年の瀬は、気持ちが急くもの。
そんな時だからこそ、ボーッと景色を見たり、
心地よい音楽を聴いたりして
気持ちを落ち着かせ、
心を穏やかにする。
京都のおやっさんが良く言ってたな。
「急いたらアカン」て。
今日も1日、ありがとうございました。
看々臘月尽
(みよみよろうげつつく)
あっという間に、
十二月が終わろうとしている。
人生もまたたく間に過ぎゆくものである。
師も走るほどあわただしいのが12月。
時間のなさ、時間の貴重さを思い知らされる時期。
その感覚を
1年通してもちつづける。
1日、1日の時間の貴重さを忘れてはいけない。
今日も1日、ありがとうございました。
福笑門自来
(ふくわらうかどにおのずからきたる)
楽しさも、喜びも、幸運も
笑顔で和やかに生きる自分が引き寄せる。
笑う門には福きたる。
どんなときも、
前を向いていれば、笑顔になれる。
いつも笑顔を向けてくれる人がいる。
そんな人だって、不安や悩み、つらさ、せつなさはある。
それらをしっかり引き受けたうえで、いつも前を向いて歩んでいる。
そんな人になりたいですね☺️
今日も1日、ありがとうございました。
担雪塡井
(ゆきをになってせいをうずむ)
雪を運んでいって、井戸を埋めようとしても、
雪は溶けてしまう。
しかし、こうした無駄と思われる努力でも、
あえておこなうことが尊い。
努力するのに、目的も、理由もいらない。
努力は、必要。
だが、それが報われるかどうかはわからない。
それでいいのだ。
報われたいから努力するのではなく、
努力したから報われたというのは結果にすぎない。
その努力の中で、学びがたくさんあり
成長していくのだろうと思う。
今日も1日、ありがとうございました。
今年中歓笑復明年
(ことしかんしょうまたみょうねん)
今年も喜び笑って過ごしたように、
きたる年も、また、そうありたいものである。
笑顔をひとつ増やそうという、次年への重い。
一年のあいだには、いろいろなことがある。
笑えない日だってある。
だけどね。
怒っても1日。
泣いても1日。
笑っても1日。
それなら、笑っていたいですね☺️
今日も1日、ありがとうございました。
昨日少年(さくじつのしょうねん)
今日白頭(こんにちはくとう)
ついこの前まで少年だと思っていたら、
もう白髪の老人になっていた。
時のすぎるのは早く、
人生にはかぎりがある。
できることは、積み残さない。
自分では気づかないうちに
時はどんどん積み重なっていく。
将来のプランを練るのもいいが、
できることは、その場で実行していく。
人生にはかぎりがある。
今日も1日、ありがとうございました。
山帯夕陽紅
(やまはせきようをおびてくれないなり)
山が夕日を受けて、
紅に染まっている。
美しい夕景。
夕景に無常を知る。
紅から群青色に、
そして、闇へと刻々と変わる空の色は、
無常(何ものも、けっしてとどまることがないこと)
を、あますところなく伝えている。
常に移ろっている。
人は、安定を求めたがるが、
本当の安定なんてものはない。
自然も人も無常であり、時は移ろう。
今日も1日、ありがとうございました。
枯木倚寒岩(こぼくかんがんによる)
三冬無暖気(さんとうだんきなし)
枯木が寒風吹きすさぶ岩に立っている。
冬の間は、暖気などまったくない。
修行中の禅僧は、この枯木のようなもので、
煩悩に心を動かされることは一切ない。
煩悩を拒むのではなく、
受け流す境地。
煩悩に心が動かないのは立派におもえるが、
あまりにも、そうあろうとすると窮屈になる。
煩悩を拒絶して受け容れないのではなく、
受け止めてなお、それに心がとらわれたり、動かされたりすることがない、
自然体で煩悩を受け流す。
それが 禅。
煩悩だらけでも良い。
生きるためには煩悩も必要だ。
今日も1日、ありがとうございました。
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