今日の禅語
仁者如寿山
(じんしゃはじゅざんのごとし)
徳のある人は、
寿山のように泰然としていて、
徳が絶えることがない。
情の深い徳を備えた人は、
すぐそばにいる。
人のためになることを、損得勘定抜きで
できる。
母親が赤ちゃんに向ける、優しいまなざしと
無償の愛やふるまい。
仁者のお手本。
今日も1日、ありがとうございました。
仁者如寿山
(じんしゃはじゅざんのごとし)
徳のある人は、
寿山のように泰然としていて、
徳が絶えることがない。
情の深い徳を備えた人は、
すぐそばにいる。
人のためになることを、損得勘定抜きで
できる。
母親が赤ちゃんに向ける、優しいまなざしと
無償の愛やふるまい。
仁者のお手本。
今日も1日、ありがとうございました。
行亦禅坐亦禅
(ゆくもまたぜんすわるもまたぜん)
語黙動静体安然
(ごもくどうじょうにたいはあんぜんなり)
立つも座るも禅。
語るも、黙すも、動くも、動かざるも、
みな、禅。
日常生活の一切合切が禅の修行である。
禅は日常のあらゆるところにある。
禅は実践しなければ、意味がない。
それは、普通の毎日の中にたくさんあって
意識しながら、実践してみる。
1日、1日が修行。
今日も1日、ありがとうございました。
岩松無心風来吟
(がんしょうむしんかぜきたってぎんす)
岩に生えた老松が、
風に吹かれて音を鳴らしている。
老僧の枯高の境地。
どう老いていくかを心しておく。
寿命が延びて、どんな老境を送るか。
枯高 枯れ長けて強い という意味。
長い人生経験を積み重ねてきたことで
醸し出される、これみよがしでない威厳。
そんなじいさんになる。
今日も1日、ありがとうございました。
放下庵中放下人
(ほうげあんちゅうほうげのひと)
ボロボロのうらびれた庵に
世間のこだわりを捨てきった人が、
暮らしている。
最高に自由な生き方。
物への執着が満たされる自由か、
心の自由か。
欲しいものがなんでも買える。
それはそれで良いと思うが、
物への執着はとどまるところをしらない。
次から次へと欲が出る。
その欲が満たされるだけ。
持ち物にも、まったくこだわらず恬淡として生きている自由もある。
本当の自由とは、
心がまるごと自由。
今日も1日、ありがとうございました。
威儀即仏法
(いぎそくぶっぽう)
日常の立ち居ふるまい(威儀)を正すことが、
そのまま仏法を行ずることである。
返事ひとつから、正していく。
ふるまいや気持ちの持ち方は、
普段から心を配っていく。
普段の日々が行。
今日も1日、ありがとうございました。
竹影掃秋月
(ちくえいしゅうげつをはらう)
月明かりがつくる竹の影が、
風に揺れて、何度も月を払うが、
月が動くことはない。
月も無心、竹影も、また無心。
あるがままに動き、
あるがままに静まる。
あるがままにまかせる。
行動するのも、静観するのも
あるがままに。
今日も1日、ありがとうございました。
不動心(ふどうしん)
妄想や執着などの煩悩に惑わされず、
動揺しない心。
揺るぎない心には、
しなやかな復元力がある。
不動心とは、
どっしりと根を下ろした大樹のようなイメージだが、そうではない。
大樹もひどい強風が吹けば、
耐えきれず、折れてしまう。
しかし、竹はどんな風にもしなやかに撓み
風が止めばもとに戻る。
何かあったとしても、すみやかに、
平穏な心に戻す。
これが不動心。
今日も1日、ありがとうございました。
五穀熟万民安
(ごこくうれてばんみんあんず)
五穀が実って、人びとは安心して暮らせる。
自然の恵みと安寧な暮らしは一体である。
恵みの作り手に心を寄せる。
新米の時期です。
自然の恵みと作り手のおかげで、
食べることができる。
ありがたい。
今日も1日、ありがとうございました。
如是(にょぜ)
かくのごとし。
そのおとり。
揺るがない心の支柱を
持つことに意味がある。
自分の生き方は、かくのごとしである、と
言える心の支柱を持つこと。
今日も1日、ありがとうございました。
掬水月在手
(みずをきくすればつきてにあり)
水を手で掬えば、月はその水に映る。
世の中の真理は、
自分の中にある。
自分に問いかけると、
気づきに出合える。
真理は誰かに教えてもらうものではない。
真理は自分の中。
自問自答することで、
気づくことがてきる。
今日も1日、ありがとうございました。
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