今日の禅語
閑坐聴松風
(かんざしてしょうふうをきく)
静かに座禅をしていると、
ふだんは気づかない、
風が松葉を揺らす音が聴こえてくる。
座禅のすすめ
禅はなんであれ、一体になることの大切さを説いている。
座禅をしてみる。
今日も1日、ありがとうございました。
閑坐聴松風
(かんざしてしょうふうをきく)
静かに座禅をしていると、
ふだんは気づかない、
風が松葉を揺らす音が聴こえてくる。
座禅のすすめ
禅はなんであれ、一体になることの大切さを説いている。
座禅をしてみる。
今日も1日、ありがとうございました。
花何処求行
(はないずれのところにかもとめゆかん)
真理は遠くにあるのではなく、
じつは自分の足元にある。
その事に気づくのが大事。
自己実現への道は、
いまの自分の足元にある。
自己実現。
どうしたらできるだろうか。
答えは、今、自分がいるところで
精一杯の自分を尽くすこと。
今を精一杯できていないのに、未来が良くなるわけがない、
今日も1日、ありがとうございました。
春眠不覚暁
(しゅんみんあかつきをおぼえず)
春の夜は心地よく、
朝になったことにも気づかず、
つい寝過ごしてしまいがちである。
早起きの習慣をつける。
朝をどう過ごすかで、その1日が決まる。
朝の時間を有意義に過ごそう。
今日も1日、ありがとうございました。
見機而作
(きをみてなす)
物事を成し遂げるには、
タイミングを見定めることが大事。
潮時を見る目を養う。
いつ行動するかによって、成否が決まることがある。
ここしかない、というタイミング。
そのタイミングを見定める目が必要。
その目を養うには、
過去の成功、失敗の体験を記憶しておくこと。
過去のデータを蓄積しておけばおくほど、
たしかなものになってくる。
今日も1日、ありがとうございました。
歩々是道場
(ほほこれどうじょう)
どこにいても、そこが自分の道場であり、
何をしていても、
それが自分を高める修行である。
修行になるのではなく、
自分が修行にする。
良い例が雑用。
雑用なんかと思う前に、
雑用も大事な修行に自分でする。
その継続がやがて、大切なことに気づく。
今日も1日、ありがとうございました。
悠然見南山
(ゆうぜんとしてなんざんをみる)
ゆったりとした気分で南山を見上げる。
煩悩から離れた悠々自適な様子。
ただ、ボーッと、自然を見る。
考えが行き詰まったり、気持ちがカサカサしているときは、
自然をボーッと眺めてみる。
余計なことを考えずに、無心で自然と一体になる。
その瞬間、心地よい癒しが感じられる。
今日も1日、ありがとうございました。
柳緑花紅
(やなぎはみどりはなはくれない)
柳は緑の枝を垂れ、花は紅に咲いている。
どちらもあるがままの姿であり、
そこに真理があらわれている。
自分の得意を磨いていく。
誰にでも長所があり、短所がある。
得意な事と不得意なことがある。
苦手分野を克服するのも必要な場合もあるが、
得意分野をさらにのばすほうが、
自分らしく行けるだろう。
人は人。自分は自分。
今日も1日、ありがとうございました。
無功徳
(むくどく)
どんなおこないにも功徳はない。
自分がしたことに見返り(果報)を求めない。
誰かのために名にかができる。
それで十分。
良い行いをした時、誰かのために何かをした時、
人は見返りを求めがち。
本当は、良いことをした時、その人が喜んでくれた。
それだけで良い。
それだけで十分。
今日も1日、ありがとうございました。
裂古破今
(いにしえをさいていまをやぶる)
古い伝統にいたずらにとらわらることもなく、
新しい風潮を盲目的に受け容れるでもない、
本物を見極める目を持つ。
本物を見極めるものさしは、
真理、道理にある。
古くから受け継がれてきたことのなかにも
さらに守っていくべきものと変えるべきものがある。
古い、新しい、ということから離れた
真理、道理にそったものがいつも本物。
今日も1日、ありがとうございました。
山花開似錦
(さんかひらいてにしきににたり)
澗水湛如藍
(かんすいたたえてあいのごとし)
一面に花が開いた山はまるで錦の様相、
谷川の水は藍のような深い色合いを湛えている。
どちらも、永遠の美しさにみえるが、
花は散り、水は流れ去り、とどまることはない。
無常の時のなかで、美しくいきる。
桜は花を咲かせ、あっという間に散ってしまう。
その散り際の見事さも桜の美しさ。
人も、そんなふうに生きたいですね。
今日も1日、ありがとうございました。
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