2022 1/31(月)
今日の禅語
喫茶去
(きっさこ)
誰に対しても、同じように
「どうぞ、お茶を召し上がれ』と言える。
それが分別のない禅の世界。
一杯のお茶を分け隔てなくふるまう。
これは、わかりやすく言うと茶道ですね。
元々、茶道は禅の教えから派生したものです。
京都にいた際、当時住んでいた
アパートの大家さんに
裏千家 家元の初釜に連れて行ってもらったことがあります。
私は、作法も何もわからず行ったので
完全に場違いな所に来てしまった‼️
と思ったのですが、
お家元が、『作法よりも、お茶を楽しんでいってください。』との言葉をかけてくれた。
あの時、思ったことは、
お家元は、裏千家のトップの人。
私は、作法も知らない庭師修業中の小僧。
それなのに、お茶を入れてくださった。
こんな世界があるんだ‼️と
感激した。
地位があろうが、なかろうが
上だろうが、下だろうが
そんなことよりも、
同じ空間で、お茶を楽しむことを大切にしていた。
周りの業躰(ぎょうてい)の方たちは、
お家元に失礼がないか?と
多分神経を張りつめていたかもしれない。w
喫茶去
まさしくお家元がされたこと。
それから、禅にも興味を持つようになった。
あのような体験をさせて頂いて
本当にありがたく、今日に至っています😃
今日も1日、ありがとうございました。