今日の禅語
仁者如寿山
(じんしゃはじゅさんのごとし)
徳のある人は、
寿山のように泰然としていて、
徳が絶えることはない。
情の深い徳を備えた人は、
すぐそばにいる。
自分を大切にすることは
もちろん大切だが、
人の事を慮り、人のためになることを、
損得抜きでできる。
それが徳のある人。
根底は愛ですね😃
今日も1日、ありがとうございました。
仁者如寿山
(じんしゃはじゅさんのごとし)
徳のある人は、
寿山のように泰然としていて、
徳が絶えることはない。
情の深い徳を備えた人は、
すぐそばにいる。
自分を大切にすることは
もちろん大切だが、
人の事を慮り、人のためになることを、
損得抜きでできる。
それが徳のある人。
根底は愛ですね😃
今日も1日、ありがとうございました。
行亦禅坐亦禅
(ゆくもまたぜんすわるもまたぜん)
語黙動静体安然
(ごもくどうじょうにたいはあんぜんたり)
立つも座るも禅。
語るも、黙すも、動くも、動かざるも、
みな禅。
日常生活の一切合切が、
禅の修行である。
禅は日常のあらゆるところにある。
お寺に行って禅を体験することも良い。
しかし、体験は修行ではない。
お寺に特別な修行があるわけでもない。
普通の毎日が修行の場。☺️
今日も1日、ありがとうございました。
岩松無心風来吟
(がんしょうむしんかぜきたってぎんす)
岩に生えた老松が、風に吹かれて、
無心に音を鳴らしている。
老僧の枯高の境地。
どう老いていくかを心しておく。
枯高(ここう)
枯れ長(た)けて強い、と言う意味。
長い人生経験を積み重ねてきたことで
醸し出される自然な威厳。
そんなじいさんに、
私もなりたい😃
今日も1日、ありがとうございました。
放下庵中放下人
(ほうげあんちゅうほうげのひと)
ボロボロのうらびれた庵に、
世間のこだわりを捨てきった人が、
暮らしている。
最高に自由な生き方。
物への執着が満たされる自由か?
心の自由か?
おそらく、物への執着はいつまでたっても
満たされることはきっとない。
次から次へと続くから。
自由って一見良さそうに見えるが、
実は責任も伴っている。
その責任を自分で負うことができなければ
自由はつかめない。
自由には、責任を伴う😃
今日も1日、ありがとうございました。
威儀即仏法
(いぎそくぶっぽう)
日常の立ち居ふるまい(威儀)を正すことが、
そのまま仏法を行ずることである。
返事ひとつから、正していく。
普段から、立ち居ふるまいを意識してみよう🎵
今日も1日、ありがとうございました。
竹影掃秋月
(ちくえいしゅうげつをはらう)
月明かりがつくる竹の影が、風に揺れて、
何度も月を払うが、月が動くことはない。
月も無心、竹影も、また無心。
あるがままに動き、
あるがままに静まる。
あるがままに😃
今日も1日、ありがとうございました。
不動心
(ふどうしん)
妄想や執着などの煩悩に惑わされず、
動揺しない心。
揺るぎのない心には、
しなやかな復元力がある。
このよく耳にする 不動心。
これは、なかなかなれなくて
どうしたらなれるのか?
たくさん考えていた。
何があってもぶれず、どっしりとしていることが不動心だと思っていた。
だが、本当の意味は
ぶれたら平穏な心に戻すことを不動心と言う
平穏な心とは、自分の軸。
良いときもいつまでも浮かれていたり、
悪いときもいつまでも落ち込んでいたり、
良いときも、悪いときも
心が揺れた後に自分の軸に戻せれば
振り回されることは、ない。
不動心は柔らかい心😃
今日も1日、ありがとうございました。
五穀熟万民安
(ごこくううれてばんみんあんず)
五穀が実って、人々は安心感して暮らせる。
自然の恵みと安寧な暮らしは
一体である。
恵みのつくり手に心を寄せる。
味覚の秋!!
おいしいものがたくさんありますね😃
そのおいしいものを、作ってくれている人が
いるから食べられる。
ありがたいな。
そんなことを、考えながら
頂いてみよう☺️
今日も1日、ありがとうございました。
如是
(にょぜ)
かくのごとし。
そのとおり。
揺るがない心の支柱を持つことに
意味がある。
自分の生き方は、かくのごとしである。
と、言える心の支柱を持とう‼️☺️
今日も1日、ありがとうございました。
掬水月在手
(みずをきくすればつきてにあり)
水を手で掬えば、月はその水に映る。
世の中の真理は、
自分のなかにある。
自分に問いかけると、
気づきに出合える。
この気づきは、自分と向き合わないと
わからない。
自分と向き合う作業はしんどい😅
だが、それなくして
気づきは見つけられない。
寝る前の数分でも、
自分と向き合ってみる。
そんな習慣が自分を育ててくれる。☺️
今日も1日、ありがとうございました。
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